初代総理大臣は女好き!「伊藤博文」
戊辰戦争にも初期から参戦していた伊藤博文。
明治の元勲であり、日本の(初代)総理大臣を務めました。
あだなは「箒(ほうき)」。
女が掃いて捨てる程いたからと言われています。
明治天皇「少し女遊びを控えてはどうか」
伊藤博文の地方での芸者遊び
伊藤博文は、一流の芸者は指名しません。
あえて、二流以下ばかり!
なぜか?
伊藤博文「その土々の一流の芸者は、地元の有力者が後ろ盾にいる。そういう人間と揉め事を起こさないようにするには、一流ではない芸者を指名する必要がある」
それでも40度の高熱を発熱しても芸者2人をはべらせたと言います。
芸者は、伊藤博文の風邪を感染されているかも知れませんね。
衆議院議員松本剛明は、伊藤博文を高祖父に持ちます。
伊藤博文と妻・妾たち
芸者出身のファーストレディー「梅子」
伊藤博文の最初の奥さんは入江すみ子でした。
入江すみ子とは、わずか3年間の結婚生活で離婚します。
離婚理由は、芸妓「小梅」との不倫でした。
これが2番目の妻となる伊藤梅子です。
当時は、まだ江戸幕府があった頃。
伊藤博文は長州藩の藩士で、長州藩は正義派と俗論派に割れていました。
伊藤博文は高杉晋作や井上薫らと正義派に属していました。
藩内の緊張が高まる中、井上薫が俗論派から襲撃を受け重傷を受けます。
この襲撃事件を受け、伊藤は亀山八幡宮に逃げ込み、
亀山八幡宮の茶屋で働く小梅と出会うのでした。
女好きである伊藤博文は、小梅の美貌に惚れ人目を忍んで何度も会うのでした。
良妻賢母だった梅子
伊藤梅子は、伊藤博文が芸者やあらゆる女性を家に連れ込んできてもヒステリーなどは起こしませんでした。
むしろ、芸者が帰る際にお土産を持たせる程の肝っ玉だったそうです。
梅子本人も芸者出身で不倫関係からの結婚生活だったので、
他人にばかり要求するような人ではなかったのかも知れません。
そうとは言え、芸者たちは「この奥さんには、とてもかなわない!」と思ったことでしょう。
しかし、伊藤博文の暗殺で別れは突如として訪れます。
伊藤博文68歳、梅子61歳。
梅子は「国のため光をそえてゆきましし 君とし思へどかなしかりけり」と伊藤博文の死を悼んだそうです。
スキャンダルを噂された戸田極子(とだきわこ)
戸田極子(とだきわこ)は、もとは岩倉具視の三女です。
母は槇子と言う方です。
この槇子も美人として知られていたようです。
姉妹は、極子を含めて6人で、
その中でも母の美貌を受け継いでいたようです。
極子は、14歳のころ。
美濃国大垣藩知事の戸田氏共(うじたか)と結婚します。
そして、極子は3女を産み育てました。
極子には、伊藤博文とのスキャンダル話があります。
明治20年(1887年)4月22日、首相の伊藤博文が官邸で開催した仮装舞踏会に出席、夫・氏共は太田道灌に、極子は山吹を捧げる賤女に扮した。この後しばらくして、伊藤博文が極子に関係を迫ったとの醜聞が新聞で報道された。
wikipedia「戸田極子」
子供の人数不明!第4代・第6代総理大臣「松方正義」
時は1887年(明治20年)・・・
松方正義は明治天皇から子供の人数を尋ねられました。
松方正義「・・・」
なんと!松方正義、即答できず!
結局、
松方正義「後日調査の上、御報告申し上げます」
と奏上したそうです。
早世した2男も含めて15男11女の26子が生まれました。
そして、今の感覚では(当時でも?)理解不能なのですが、
妻満佐子は4男1女を生み、松方が妾に産ませた子供も一緒に養育させられていました。
はい。
世の中の女性陣からは、総ブーイングですよね。
53人を産ませ倒幕した将軍!「徳川家斉」
江戸幕府11代将軍です。
16人の妻妾を持ち、26男27女の53子が生まれました。
成人まで命を保てたのは、28名の子のみでした。
多くの子は、養子に出されることとなりましたが、
あまりにも子供の人数が多いため、養育費やイベント事がある度に莫大な支出を伴いました。
これは幕府が倒れる遠因としても指摘されることがあります。
50人を産ませて嵯峨源氏!「嵯峨天皇」
桓武天皇の第二皇子で、第52代天皇です。
同じく子供が多過ぎるため、財政事情が困窮することは目に見えていました。
そこで臣籍降下を行い、皇室から外していきました。
多くは源氏となり嵯峨源氏となりました。
源常(ときわ)、源信(まこと)、源融(とおる)が左大臣に任官し、朝廷政治の中枢を支配しますが、次第に没落し地方で武家になっていきました。
有名な子孫で言えば、渡辺綱(わたなべのつな)。
源頼光の四天王の1人です。
主君の源頼光は鬼退治や土蜘蛛退治、渡辺綱は酒呑童子退治のお話で有名です。
また、東京半蔵門で有名な徳川家康の十六神将の1人である服部半蔵も渡辺氏の子孫です。
また、この渡辺氏の分派に九州には水軍(今で言う海賊)となった松浦氏や、九州の大名蒲池氏がいます。
松田聖子の出生名は蒲池法子ですが、この蒲池氏出身です。